電子書籍時代の、公共図書館の新しい役割ではないだろうか


電子書籍についての考察(その10) 公立図書館の役割はどう変わるか(上):松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」



‘10.10.18の記事より。


その2:電子書籍についての考察(その11) 公立図書館の役割はどう変わるか(下):松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」(’10.10.25)


以下、上下合わせて個人的にメモしておきたい個所をクリップ。


【上】



なぜ地方自治体が、図書館情報学という専門知識を持つ司書の雇用にコストをかけないのか。そこには地域図書館の機能を、本来の知の集積ではなく、健康診断やゴミ収集と同様の住民サービスに位置付けるという意識が存在する。本当なら図書館は、「そこに行けば分からなかったことが分かる」という場所であるべきなのだが、地方自治体が地域住民に対して行う「タダで本が読めるサービス」となっているわけだ。


そうなる理由は、結局のところ首長なり地方議会なりに、「図書館とはどういう場所か」という認識が不足しているところにある。図書館が知の集積地であるということを理解していないから、図書館の運営の指標を「どれだけ来館者がいるか」「どれだけの冊数の本が貸し出されたか」という数字に求めてしまう。こうなると図書館にどんな知識を集積し、整理するかではなく、地域住民の満足度を上げて、来館者と貸し出し数が増えることが、望ましい図書館経営だということになってしまう。



数字では測れない、測ってはならない部分を背負うのが公的機関の筈なのに、最近流行りだからといって「評価システム」を「安易に」取り入れるとこういうことになりがちなんだよなー。。。


【下】



私が思うに、電子書籍普及と共に、きちんと司書を雇用できるかできないかで、公共図書館の選別が発生するだろう。雇用できないところは、図書館の必要性が薄れ、廃館になるのではないか。
図書館が本来の機能に戻るということは、公共図書館の機能が専門図書館に近づくことを意味する。ということは、公共図書館も前回述べた専門図書館のように、ある程度までは「小Google化」する必要があるのだろう。
しかし、公共図書館には、専門図書館にはない特徴がある。地域密着型だということだ。
地域に知の集積地となるということは、同時に地域における「知のキュレーション機能」をも果たすということだ。おそらくこれこそが、電子書籍時代の、公共図書館の新しい役割ではないだろうか。




ただ漫然と、「地域住民へのサービスを提供」するのではなく、的確な見識と現状把握に基づき、地域の知的ニーズを読み取って、必要な知識を分かりやすく提 供する――「知のキュレーション」とはそういう意味である。それは住民の中に顕在するニーズを汲むだけではなく、住民の中に潜在的に存在する知識の欠乏を補うようなものになるはずだ。




紙の形で人類の知識をバックアップする


一般の本の読者が電子書籍にシフトするほどに、紙としての本を保管するという図書館の機能は意味を持ってくるはずである。
それは同時に、知識が消滅するという事態を、社会全体で回避するという役目でもある。電子データである電子書籍は、明らかに紙の本よりも保存性が悪い。何よりも記憶媒体のトラブルで、まとめて一気に消えてしまう危険性がある。