ナイキのスポーツ用品ではなくて、スポーツの空気なんです

資生堂が売っているのは、”もの”じゃない、”美の約束”です。約束をするからには、その保証書が要る。その役目をしているのが広告です。広告表現の品質が、商品の品質の保証になっているのです。(資生堂の広告に対して)
ナイキが売っているのは、ナイキのスポーツ用品ではなくて、スポーツの空気なんです。その「空気」の表現が、並みの表現じゃない。(ナイキの広告に対して)
広告の基本の役目は、「評判」を作り出すことだと僕は思っていますが、ホワイト家族のシリーズが、なぜこんなに評判になるのか、それを考えてみたいんですね。(ソフトバンクの広告に対して)
1996年の広末涼子のポケベルから、2007年の瑛太と蒼井優の世界ケータイまで、NTTドコモのCMを見ていると、そんな人間関係の変化の歴史がよくわかる。(NTTドコモの広告に対して)
広告にとって大切なことは、企業や商品のイメージを、人びとの中に確実にストックしていくことなんですね。ホームランのような大技よりも、確実に単打を重ねていく。それによって、イメージをストックさせていく。それが理想的なあり方です。(キューピーキユーピーの広告に対して)
広告はおもしろくなければいけない。おもしろくない広告なんか、だれも見てくれないからです。が、その「面白い」は「amusing」というだけではいけない。「interesting」なおもしろさをも持っていることが大切です。(日清食品の広告に対して)
宇宙人の目で、地球のおかしさを風刺的にみながら、「このろくでもない、すばらしき世界。」と、最終的には人間に拍手を送る。まさに「正調サントリー節」というところです。(サントリーの広告に対して)

自分とは違う視点だけれども、こう言われてある種の人びとが強くうなづくうなずく姿というのは想像できる。まあ、でも、実は広告批評って、批評とはいうものの、広告の外部じゃなくて内部にいる存在だったんだなあと思った。あと、広告表現批評に近かったのかもしれない。広告批評を初めて見たのは、大学の文学部の友達が読んでいるのを見たときだったと思うけど、そのとき感じた独特のカルチャー誌的な存在感は最後まで残っていたな。











広告批評最終号 - kokokubeta;