(リントン・クウェシー・ジョンソンです) そのスピード面での進化の最終段階と言えるのが、ダブでした

<レゲエ進化の最終段階、ダブとは?>

 レゲエの進化は、ある意味では「リズムのスピード・ダウンの歴史」であり、「音の軽さから重さへの変化の歴史」でもありました。(歌詞の内容的にもしだいに政治的な重いものが増えたとも言えるでしょう。その代表格が、デニス・ボーヴェルリントン・クウェシー・ジョンソンです)

 そのスピード面での進化の最終段階と言えるのが、ダブでした。このスタイルは、元々シングルのB面を埋めるのに経費削減策として、ヴォーカルなしのカラオケを入れたことから始まりました。さすがに、そのまま入れるのは面白くないと思った連中が、ミキシングのテクニックを競いながら、遊び感覚でいじり始めたところ、それが意外なことに無限の自由度をもつ新しい音楽の創造につながってしまったわけです。(その元祖は、ミキシング・エンジニアだったKing Tubbyだったと言われています)

<最高の武器ダブを得たリー・ペリー

 元々レコードの制作をすべて一人で行っていた彼にとって、ダブはまさに最高の武器、表現手段となりました。彼は、ダブの進化とともにしだいに大きくなる音の隙間を、彼独特のサイケデリック感覚で自由自在に埋めながら、次々に新しいサウンドを生みだします。そして、そんな時期に生み出された最高傑作とも呼ばれる作品が、アルバム「スーパー・エイプ」でした。

<それでも進化は止まらなかった>
 ちょうどダブが登場してきた時期に、もうひとつ新しいサウンドがジャマイカで生まれました。それは、DJスタイルと呼ばれ、レコードを使いながら、それを楽器のように用いるアーティストたちによって始められました。これもまた、今や世界中に広まった文化です。U.ロイによって始められたと言われるこのスタイルは、そのバック・トラックとしてダブを用いることで、お互いに進化をとげました。その後、ビッグ・ユースやイエロー・マンなどの活躍で、いよいよDJはジャマイカン・サウンドを代表する存在となります。しかし、そのサウンドは再びスピードを上げるようになり、リー・ペリーの居場所はしだいになくなって行きました。”









リー・ペリー




出典:http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/l-perry.htm

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